かつとしコラム

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◆「らしい」ということ
 

 人知の及ばない自然の営みを実感したこの春。去年の夏は本当に夏らしい夏、暑い日が多かった。この冬は本当に冬らしい冬、雪も多く気温も下がった。「らしい」ということ、「季節感」をしみじみ感じていた矢先、東京では桜が一気に開花し、早くも散り始めてしまった。綿密に花見の計画を立てたりしている人間をあざ笑うかのように。でも私は幸いにも秋田の春を待ち受ける事ができるので、東京の同僚の、焦りにも似た花論議は割に余裕をもって見ることができた。幸せだ。

 4月、今年も真新しいランドセルに夢を一杯詰め込んで1年生が校門をくぐったことだろう。そんな中、学習指導要領の「3割減」に伴う教科書検定の結果が発表された。一時期、もてはやされた「ゆとり教育」を形にしたものと言えようが、一方では昨今の「学力低下懸念」。学級崩壊などに見られる学校の荒れの原因が突き詰められていない証左のように思える。

 例えば、4年生以上の算数の文章題で、ケタ数の多い計算には「電卓マーク」がつくという。電卓やそろばんを使って良いということだそうだ。理科では「月の模様がうさぎに見える」という内容のコラムが不必要として削除になった。

 「ゆとりの必要」も「学力低下」もその一つの要因には、子供ならではの「想像力」「創造力」「探究心」が低下している(させている)ということがある。それは、実用・実利にばかり走る余裕のない大人社会の反映とも言える。「大人のような子供」と「子供のような大人」が増えてどちらにも「らしさ」が見えない。境界がはっきりしないのは社会全体に「けじめ」が無くなってきているせいだと私は思っている。

 ケタ数の多い計算問題も暗算で解いてみる。間違うことも時には必要で、間違っていたら今度は自分の手で筆算してみる。月を見上げてうさぎさんの餅つきにいろんな想像を働かせる・・・・
「読み/書き/算盤」の基本をどの子にもある意味できつく教える「けじめ」と、難しそうなことにも挑戦してみようという探究心を無にしない教科書が必要だ。教科書以上のことは教師に全て任せるというのは、多様な生徒を指導する先生にとっても負担に違いない。教科書以上の事は「塾で」となりかねない。「欄外」とか「コラム」が意外に大切な役割を発揮するのは人生も同じのような気がする。

 何はともあれ、ぴかぴかの一年生、勉強もスポーツもそして何よりも大事な遊びも存分に楽しんで頑張ってほしい。一生の中でもかけがえのないその時を、その時らしく・・・・

  2001.4.5.

 

 

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